らをた広島

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2011 FIA F1 世界選手権総集編





2枚組DVDでみた。
フジテレビがバブルの頃日本に紹介したヨーロッパのスポーツF1。
世界のモータースポーツの最高峰とされ当時ですすら500キロ少々と言う軽い車体に1000馬力以上もあろうかとするターボエンジン。
低い車体の下から火花を撒き散らしリアマフラーから激しく火を噴きウィングからは飛行機雲まででるデッカいタイヤむき出しで這いずり回るそのバケモノを駆り勇猛果敢に抜きつ抜かれつを繰り返すその様はドギモを抜かれた。
当時はホンダターボエンジン全盛期でありウィリアムズとロータスの4台に搭載され覇権を争っていたがこのホンダ勢に性能的には劣るマクラーレンTAGポルシェのアランプロストの孤軍奮闘ぶりにめを見張った。
その後最強ホンダエンジンは最強サプライヤーマクラーレン、最強ドライバーのアランプロスト・アイルトンセナと組み黄金期を築いた。
しかしそのアイルトンセナのレース中の事故死で事態は一変する。
あまりにもマシンが高性能になりすぎ次々とドライバーが事故死しF1の安全性が叫ばれるようになる。
ターボは禁止、エンジン排気量は年々下げられスリックタイヤは幅を減じられ縦溝まで入れられた。
それでも空力やコンピューター電気系パーツの技術革新によりF1マシンの周回速度は落ちずドライバーねた手腕による競争という競技性はどんどん薄まりマシン性能の優劣のみがクローズアップされていく。
これはレース中の抜きつ抜かれつと言うスペクタクルな要素がなくなりピット作業やリタイアでしか順位変動はなくファンは「高速なマシンの行列」を見ることになりF1をつまらなくしていく。
同時期に不況に襲われた日本の自動車メーカーは次々にF1から撤退、これもF1人気の凋落に拍車をかけた。
前置きが長くなってしまったがこんな昨今の歴史を踏まえて去年のF1である。
安全性と競技性と興行性の両立と言うアンビバレンスをどう解決するかが最重要テーマだったはずだがまずはエンジン開発を事実上の凍結でV8・2400cc、700馬力でほぼ並んだ出力、
おまけにタイヤはピレリワンメイク
しかもそのタイヤは縦溝はないがわざわざ耐久性が落としてありレース中に交換が必須でエンターテイメント性に配慮している。
これは思わぬ副産物を生み出すことになった。
イコールコンディションによるマシン優位性がなくなりF1を長い間支配してきたワークス支配が揺るぎ有力プライベーターの台頭である。
結果としてF1は間違いなく格段にエキサイティングになりオモシロくなっている。
驚くほどオーバーテイクが増え特定のワークスチームが常に隊列を組んでちんたら走ると言った緩慢なレースが減っている反面当然ながらハコレース紛いのラフで感情じみた接触事故が多発してしまっているのはモータースポーツの最高峰には相応しいとは言い難い。
レースが盛り上がりを盛り返したのはいいが日本人として残念なのは日本の自動車メーカーが不出場なことだ。
フェラーリはもちろんメルセデスルノーがエンジン・シャーシーとも自前で出場しているにも関わらずだ。
ジャパニーズ自動車メーカーのお偉方にはこのエコ全盛のご時世にF1なんて宣伝効果の薄い化石燃料とタイヤ浪費合戦でしかないのかもしれない。
若者がクルマに乗らないとかスポーツカー冬の時代だとかよく言われるがクルマは確かに工業製品ではあるが冷蔵庫や電子レンジのような白物家電とは違う側面を持っていることを忘れてはいけないと思う。
便利で生活を豊かにするのは同じでも非日常が味わえる「夢」のある工業製品でなくなってしまえばしまうほど若者はクルマからますます離れていくばかりだろう。
そのあたりやはりヨーロッパの老舗メーカーはわかっているのだろう。
モータースポーツをいつまでも販売促進の道具やイメージ戦略興行だとしか捉えられず文化の一部との認識が持てないうちは欧州老舗メーカーと新興韓国メーカーに上から下から挟み撃ちにされて日本車の低迷に歯止めがかからないだろう。
同時に日本でのF1人気は下降の一途でいよいよ今年からは地上波でのテレビ放送がなくなるようだ。
せっかくF1のレース内容が面白さを取り戻しているのにこれは残念なことだ。
シーズンチャンピオンはセバスチャン・ベッテルという才能あるドイツ人ドライバーであるがそのほかにも若手がかなり台頭してきているF1はこれからもモータースポーツの花形であり続けるのだろう。
日本ではバブル以前のようにマイノリティに戻ってしまったとしても・・・。