らをた広島

食べ歩きブログ

ベイ・シティ・ローラーズ/恋のゲーム

51SKUOee5eL.jpg
彼らにとっての最高傑作アルバム「青春に捧げるメロディ」から1年後の1977年に発表されたのがこの恋のゲーム。
ベイ・シティ・ローラーズはこの時世界的にもまさに人気絶頂でアメリカのビルボードランキングでもシングル・アルバムとも上位に食い込みかなりのセールスを記録していた。
それだけにこのアルバムは多くのファンに待ち焦がれて迎えられた作品でもあった。
かく言う当時中学生だった自分もLPレコードを予約して購入した記憶がある。
ワクワクしながらレコードに針を落として聞いてみると何とも言えない違和感を感じて複雑な気持ちになってしまった。
アルバムに先行する形で何曲かはシングル発売されていたからその多くが含まれているA面はまあいいのだがB面アルバム専用曲ばかりになると困惑というか当時の自分にはついていけなくなった。
要は芸風というか曲調がこれまでとはかなり変化してきたのだ。
それもかなり唐突というか無理やりに。
ベイ・シティ・ローラーズと言えば明るく健全なアイドルグループのイメージだしそれを体現したような楽曲をファンは期待していたはず。
51ST-96nLAL.jpg
ぶっちゃけ彼らのサウンドにおけるアイコンはリードヴォーカルのレスリーマッコーエンの独特なハスキーバリトンに集約されてしまうので彼のワンマンバンドだと言い切って良い。
以前はそのレスリーのヴォーカルがやや弱かったためにサウンド面に稚拙さが目立ったが「青春に捧げるメロディ」でレスリーの成長から全てが結実し類稀なるポップスアルバムが完成した。
ここで彼らのサウンドは完成したと言って良いのだかそしてその次のアルバムとなる恋のゲームではその延長上のサウンドが提供されるはずだったのに突然の路線変更となったわけだ。
今なら思えばなんとなくその理由は理解できる。
要はなまじ売れたばかりにマネージメントしていた人物よりもメンバーの意見が通るようになって行ったのだろう。
それに特に日本の場合は移り気な若い女ティーンエイジャーばかりに支持されていた現状を危惧したのかもしれない。
だがこの現状突破・背伸び作戦はそれまでのファンを失望させ離反させたばかりでなく新規ファンの獲得にも失敗するという惨憺たる結果となった。
ここからベイ・シティ・ローラーズの人気は一気に急降下してしまうのだが実力が伴わずルックス優先のツケが回ってきたとも言えなくもない。
実際人気絶頂時に企画されただけあって「恋のゲーム」の楽曲は高度になりそれなりに良く練り上げられているが当時の彼らのには演奏能力がとてもついて行ってないことが当時中学生だった自分にもわかってしまったのは少々残念だった。
彼らがこの時もう少しの間、敏腕な取り巻きの操り人形だったらまた違う形になっていたのかも知れない。