イタリアの自動車メーカー「フェラーリ」の創始者エンツォ・フェラーリの伝記ドラマ。
1957年に行われたイタリアでの公道レース「ミッレミリア」に挑んだエンツォの姿を通して、彼が抱えていた情熱と狂気を描く。
監督は『ブラックハット』などのマイケル・マン。
『65/シックスティ・ファイブ』などのアダム・ドライヴァー、『コンペティション』などのペネロペ・クルスのほか、シャイリーン・ウッドリー、パトリック・デンプシーらが出演する。
1957年。
59歳のエンツォ・フェラーリ(アダム・ドライヴァー)は、妻ラウラ(ペネロペ・クルス)と立ち上げたフェラーリ社をイタリア屈指の自動車メーカーにまで成長させたが、会社は経営状態の悪化で買収の危機に瀕していた。
1年前の息子ディーノの死により家庭も破綻しており、さらに、ひそかに愛し合うリナ・ラルディ(シャイリーン・ウッドリー)との子供ピエロを彼は認知することができずにいた。
会社経営と私生活の両方で窮地に立つエンツォは、再起を懸けて公道レース「ミッレミリア」に挑む。
あの、エンツォ・フェラーリの物語。
フェラーリは知っていてもその創業者であるエンツォ・フェラーリの事はあまり知らないので勉強のつもりで観ることにした。
元々アルファロメオF1レーシングチームのドライバーだったくらいしか知識がない。
舞台は当然イタリアでいかにもイタリア人みたいなので固めたキャストにいかにもイタリアらしい風景に雰囲気なのに、話しているのが何故か英語なのに違和感があるくらいだ(笑)
フェラーリと言えばやはりF1とル・マンと言う現代でも権威あるレースのイメージが強くあのピニンファリーナによる美しいスタイルと共にクルマ好きの憧れでもある。
当然劇中に市販車、レーシングカーとクルマが出てくるがさすがに古すぎて自分には車種が全然わからない。
日本の自動車メーカーのように自社の宣伝だったり市販車の技術向上の為にレースをやるのではなく、あくまでもレースをやるために市販車を売るというフェラーリの哲学は創業当時からのようでこりゃ筋金入りのようだ。
日本でF1が本格的に紹介されたのは紛れもなくフジテレビが放送開始した頃からだが、その時からでも継続してF1にワークス参戦しているメーカーでシャシー、エンジン、運営と全部自社製でやっているのはフェラーリだけだ。
そういう意味でもフェラーリというブランドは今でもレースが先で市販車はその資金稼ぎという事なのだろう。
この作品は経営危機に瀕したフェラーリ社が生き残る為に公道レースで勝とうとするストーリーで実話が元になっている。
その公道レースはミッレミリアといい、かつてイタリアを1000マイル(イタリア語でミッレ・ミリア)走り アルファロメオ、ランチア、マセラティ、フィアット、ブガッティ、ルノー、アストンマーティン、ベントレー、MG、メルセデス・ベンツ、アウディ、ジャガー、フェラーリ、ポルシェ、サーブ、リンカーンと錚々たる自動車メーカーがしのぎを削った人気イベントだった。
ただ後に大事故が起こって30年に渡る人気レースも中止追い込まれたというが、その事故を起こしたのもフェラーリだ。
1000マイルと言ったら約1600kmになるがそんな長距離耐久レースを公道でやっていたと言うことになる。
ま、日本では公道レースなんてなかなか現実には考えられないがヨーロッパではこんな興行もイベントとして成立したのだろう。
2時間10分の上映時間のこの作品だが本編と関係ないシーンがちょいちょいあってもっと余分を削ぎ落として欲しいと思ってしまう。
レースシーンでは今や貴重なクラシックカーがバンバン出てきて実際に走っているがこんな超高価な骨董品をぶっ壊す訳にも行かないだろうから観ている方もヒヤヒヤする(笑)
事故るシーンはもちろんCGでこのデキがイマイチで苦笑いしてしまった。
劇中でのフェラーリのライバルはマセラティだがどちらのクルマも赤いカラーリングで形も似ているのでどっちがどっちなのかわからんようになる。
後半のフェラーリの観客を巻き込む事故シーンは非常にリアルに描かれていてその凄惨さに目を奪われたがこの表現は相当グロいが事故の恐ろしさを伝えるには必要だと思う。
昔のクルマ、特にレーサーは速く走る事だけに特化させるあまりドライバーの安全なんて全く考慮されていなかったので事故るとグシャグシャになっていたのがよくわかる。
エンツォ・フェラーリと言うのは確かに偉人である事は疑いようがないがその私生活はかなり破天荒だったようでおそらくその部分を描きたかったのだろうが、この映画を通じて何を一番伝えたいのかイマイチわからなかった。
期待が大きかったせいも確かにあるがトータルとしては面白いとは思わなかったフェラーリだった。