らをた広島

食べ歩きブログ

ZXR750(ZX750H)

私の下を通り過ぎていったバイク達シリーズ(笑)第四弾!!
過去の遍歴を赤裸々に綴るこのシリーズ。
今回はカワサキZXR750 89年型(ZX750H)

4814fe2e.jpg

社会人になる前に限定解除せにゃならぬと一念発起して当時合格率2%と言われた大型二輪免許にチャレンジ。
確か8回目でやっとこさ合格。
その頃は国内は750が事実上最大排気量。
世はホンダRC30ことVFR750RやヤマハOW-01ことFZR750Rなどのいわゆる8耐レプリカが人気真っ只中。
39cb4619.jpg

なんせあの「神様」ケニー・ロバーツが引退しているにもかかわらず8耐だけ特別に復帰し当時現役バリバリだった平忠彦とベアを組みTECH21カラーのヤマハFZR750を駆りスタートミスで出遅れながらもトップを7時間以上独走しゴール30分前にマシントラブルでリタイアすると言う劇的な幕切れをスズカサーキットで目撃したもんだからもうレプリカバイクしか選択肢になかった(笑)
でもそんな自分の目に焼き付いたのはケニーのOWでもワインガードナーのRCでもなくライムグリーンで疾走するカワサキZXR7だった。
ストレートではホンダ・ヤマハにくらべ明らかに遅いそのマシンがなぜ脳裏に焼き付いたのかよくわからない。
4ccea9ce.jpg

Kawasakiってブランドが持つイメージに憧れていなかったと言えばウソになる。
そんなこんなで限定解除後中古で非常に程度のよいライムグリーンのZXR750を格安で買った。
格安で買えたのはそれだけ人気がなかったとも言えるがなんせ自分にとっての初めてのナナハン、初めてのカワサキ車!
嬉しくて仕方がなかった。
このバイク、GPX750のエンジンがベースだからカワサキ車として珍しい750cc専用設計。
要するにZ1から続いた900のお下がりの750ぢゃなくてコレの為の750エンジン。
それまでレプリカには距離を置いてレーサーもどきを造らなかったカワサキが遂に禁断の果実を喰ってしまった初めてのレプリカマシンでもあった。
fbaeb5af.jpg

ただこれがとにかくデカイ!重い!
掃除機のホースのようなエアダクトが左右に二本カウルからタンクを突き抜けておりガソリンスタンドでは毎回これについて質問されウンザリした。
ラムエアにも見える大仰なダクトも単なるエンジンベッドに走行風を入れて冷やすためだけのモノでいわゆる見掛け倒し装備。
それでも峠や高速に走りに行くとその図体のデカさと迫力でバンバン道が開いた(笑)
そもそも限定解除してる絶対数が少なかったからナナハンで峠攻めてるヤツは皆無に等しかった。
dbb75bb5.jpg

しかしそこは国内仕様。
輸出モデルに比べて吸排気系が変更されているらしく30馬力くらいデチューンされていた。
そこで当時住んでいた大阪のバイク屋で輸出用パーツに変更してもらって本来のパワーに。
すると確かにエンジンが高回転型になりストレートが長いとこではかなり速度がでるようになったが峠では下がなくなりむちゃくちゃ乗りにくくなり結果的に遅くなってしまった。
これくらいの排気量になるとサーキットならまだしも低速コーナーが多い峠道では高回転高出力エンジンは自分のような腕では扱いきれない。
最新式のホンダNSR250に立ち上がりでまるでついていけない。
結局は全部元の国内仕様に戻すハメに。
f4ece91c.jpg

バイクって数字上のパワーがありさえすれば良いってことはないんだと実感した。
朝エンジン始動して暖気しローギアに入れるとき注意しないとクラッチがくっついているのか凄まじいショックとともにエンジンが止まるか若しくはするするっとバイクが前進する(笑)
だから今でもどんなバイクに乗る時も最初にローギア入れるときは必ずブレーキかける癖がついた。
細かい仕上げはかなり雑でカウルなどは無理矢理ネジどめしてあるのかあちこちがうねっており夜間走行時ヘッドライトの光が運転席に漏れてくるのをバイク屋に指摘するとカウル外して「蹴り」入れて直してた(笑)
b4d85467.jpg

ただこの馬鹿でかい恐竜のようなバイク、ブレーキやらハンドリングはすこぶる良好でなにもしないでもどんどん道を譲ってもらえるその押しの強い顔とともにかなり気に入ってしまったのも事実だ。
今の自分のスポーツライディングの基本はおそらくこのバイクによるところが大きい。
まだこの頃はカワサキ信者ではなかったがKawasakiのバイクの面白さを脳裏に深く刻み込んでくれたのは疑いようのない事実だ。